About

氷川神社について

御祭神

素蓋鳴尊「すさのおのみこと」

日本武尊「やまどたけるのみこと」

櫛稲田姫尊「くしいなだひめのみこと」

例大祭日

九月第三土曜 大祭式 斎行

九月第三日曜 宮神輿渡御(三年に一度)町内神輿・山車巡幸

由緒

神代の昔、当社の御祭神・素蓋鳴尊は出雲国(島根県)簸の川上において、大雨・洪水・地震・山火事・厄病等の象徴である八岐大蛇を退治し給い、国土を安穏にして、農業を始めとする諸産業守護繁栄の神、開運・開発の神となられた。時代は下って、景行天皇の御代(一八八〇年前)関東の経国を命ぜられた日本武尊は日夜その使命の達成に苦心しておられたが、素蓋鳴尊を崇敬される尊は日々この丘に上って武蔵の国一の宮(埼玉県氷川神社)を遙拝され、その御加護を熱心にお祈りになられた。お陰によって目出たく東国を平定されたことが求涼雑記に見える。また新編武蔵国風土記に「武蔵国一の宮は孝昭帝の御宇(約二四六〇年前)勅願として出雲国氷の川上に鎮座する杵築大社をうつし祀ったことから、氷川神社の神号を賜わる。」とあり、日本武尊御東征の時、素蓋鳴尊を勧請し、大宮に対する遙拝所として当所に御鎮座された次第である。櫛稲田姫命は素蓋鳴尊が八岐大蛇を退治して美しい稲田の神を娶られ「八雲立つ出雲八重垣妻籠みに八重垣作るその八重垣を」とうたわれて安住の天地を作られたことから家庭円満で家業繁昌を守る神として配祀申し上げる。

沿革

白鳳年間(今より一三三八年前)に所謂白金邑の総鎮守の氏神様として建立せられた。明和九年目黒行人坂から出た火災により類焼、その後宝暦二年大規模な権現造りの御社殿が御造営され嘉永五年には拝殿が銅葺せりと伝えられ立派な建物であったが、昭和二〇年四月二十五日大東亜の戦禍にあった。昭和三十三年秋、現在の御本殿・幣殿・拝殿・参道・社務所等境内整備に至る迄造営大工事か竣工した

御神徳

開運・厄除・身体健康・災禍消除・家内安全・商売繁昌・病気平癒・交通安全の御利益を得る事が出来る

人生儀礼

宮参(初宮詣)

男児生後三十二日女児生後二十三日産土神社に詣で御祈椅を受け、氏子として生涯御守護を戴く。

成人祝

男女共満二十オの一月十五日に行い、感謝の御祈椅を受ける。

七五三祝

男女児共三才を髪置、男児五才袴着、女児七才帯解

結婚式

新しい人生の出発を祝い幸福を願う

錫婚式

結婚満十年に祝う

陶器婚式

満二十年に祝う

銀婚式

満二十五年に祝う。

金婚式

満五十年に祝う。

還暦祝 六十才

古稀祝 七十才

喜寿祝 七十七才

傘寿祝 八十才

米寿祝 八十八才

卒寿祝 九十才

白寿祝 九十九才

神前・出張・諸祭

解体清祓·地鎮祭・起工式・上棟式・竣工式・修祓式・新宅祓・家祓式・厄除祓・新春家内安全・交通安全(車清祓)・商売繁昌(開店・開業)・初宮詣・七五三祝・成人祝病気平癒(身体健康)・神棚奉斎・心願成就(入学・就職)・海外旅行・工事安全

境内末社

稲荷神社(氷川神社右側山に鎮座)宇迦之御魂大神(衣食住の神様)
建武神社(氷川神社左側に奉斎)後醍醐天皇・護良親王・柑木正成公初め二〇三柱の吉野朝の諸忠臣を祀る。

氏子区域

白金三光町会・尚礼会・白高町会・第一三光町会・一心会・白金第四町会・三光第五町会・三光第六町会・三光第八町会・白金台二丁目町会・日吉坂町会・白金猿町町会・奥三光町会・白光町会・田島町町会・白金台一丁目町会・白金台七七町会・今里十和会・今里親和会・今里協和会